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西大寺鉄道 その8 〜百間川(原尾島−藤原 間)〜 [廃線跡探訪]

 原尾島駅北東方、常夜燈のある交差点から北東に進んで暫くすると、線路跡と思われる街路は百間川の堤防にぶつかって途切れます。脇の石段から堤防に登ってみました。

※写真=百間川の右岸(南西側の岸)から南西望。線路跡と思われる街路(中央)のまっすぐ奥に建っているのが、両備グレースマンション。さらにその奥に原尾島駅跡があります。

 百間川は岡山藩主・池田光政が旭川の治水対策として開削した人工河川で、その名のとおり「百間」もの広い川幅になっています。
  〔“間(けん)”は、尺貫法での長さの単位。1間=約1.818m〕

 百間川は、大雨の時以外は流量も少なく、西大寺鉄道は河川敷に線路を敷いて走っていました。この少し上流では、JRの新幹線や山陽本線が長大で堅固な橋梁で河川敷ごと渡っていますが、それらとはあまりにも対照的なお伽話のような光景が、かつてここにはあったのです。

※写真=百間川の右岸(南西側の岸)から対岸・北東望。河川改修が進んだため、鉄道跡を感じさせる物件は何も残っていません。

 なお西大寺鉄道の線路は両岸の堤防に樋門を設けることによって通り抜けており、大雨の際は樋門に板を嵌め込んで水の流入を防いでいたそうです。堤防の内側(河川敷側)で線路敷になっていたとおぼしき箇所からは、堤防上に車が登っていくためのスロープが設けられていました。
 もしかしたら河川敷内での保線作業の際、また廃止後の鉄道施設の撤去作業の際、工事用自動車がこのスロープを昇り降りしていたのかも知れません。

 かつて線路が河川敷を走っていた箇所よりも少し上流にある「原尾島橋」という道路橋を渡って、百間川の対岸に出ます。先ほどの両備グレースマンションや河川敷に降りるスロープは対岸からも見えるので、これを手がかりに線路の位置を推定します。


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