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西大寺鉄道 その19 〜大多羅駅から広谷駅へ(2)〜 [廃線跡探訪]

 
 鉄道橋の橋台が残る水路の東岸には、水路沿いの小道を隔てて民家が建ち塞がっています。が、その民家を越えた東側から、線路跡は歩行者・自転車専用道に生まれ変わっています。この道路は別名「備前富士」と呼ばれる芥子山(けしごやま)の麓にのどかに広がる田園風景の中を通り抜けて、西大寺市駅跡の手前まで続きます。

※写真=芥子山麓を線路跡のサイクリングロードが走る。東望。

 道の両脇を、幾何学的に刈り込まれた緑地帯が並行し、地元の人たちが健康づくりのためか散歩している姿を多く見かけました。普段から歩き馴れているせいか、そこそこ年配の人でも歩くペースは速い速い。これも、年に1度の会陽に向けての体力づくりでしょうか?

 やがて道路の北側に旭東公民館、南側には芥子山小学校とくまのこ保育園が現れます。自転車道は二股に分れて、中央分離帯が現れます。かつて「広谷駅」があった場所です。二股に別れた南側の道は自動車が進入できます。公民館や小学校に車で乗り入れるために設けられた道なのでしょうが、当時の駅の構内配線を模したのでは? とついつい考えてしまうのは、やっぱり「マニア的」発想でしょうか。

 広谷駅跡を過ぎると、北側の山裾を走っていたJR赤穂線が徐々にこちらに接近してきます。時折JRの電車が、レールの継ぎ目で威勢のよい振動音を鳴らしながら走り抜けていきます。
 赤穂線がこの地に開通したのは1962年の9月1日。西大寺鉄道が列車の運行を終了したのは9月8日。赤穂線にとっては最初の1週間、西大寺鉄道にとっては最後の1週間。新旧の両鉄道線が並走した、短くも郷土史的には意義の大きな日々でした。

※写真=芥子山麓を軽快に走り抜ける赤穂線の電車を、西大寺鉄道の線路跡から北望。西大寺鉄道の最後の1週間、西大寺鉄道の車窓に、赤穂線の列車が姿を現すことはあったのでしょうか?

 赤穂線と西大寺鉄道の線路跡の道は、7〜8mの間隔まで最接近したのち、再び距離を広げて行き、赤穂線は現・西大寺駅へと向かい、西大寺鉄道の線路跡の道は方向をやや南に向けます。
 
 古川という小さな川を渡ると、沿道は田園風景から新興住宅地の景観へと変わって行きます。もう西大寺市街にはいったといえるでしょう。線路跡は高さ約1mの築堤になります。この先で渡る砂川の堤防の高さまで登るためですが、いかにも「線路跡」といった雰囲気が強まります。


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