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南海平野線 その1 〜南霞町(新今宮)〜 [廃線跡探訪]

 南海平野線は、1914年4月26日から1980年11月27日までの66年間にわたって、阪堺・今池停留場から大阪市南東部の平野停留場までの5.9キロメートルを結んでいた軌道線です。

 上町線・地下鉄御堂筋線・阪和線・近鉄南大阪線といった、この沿線地域を走る他の鉄軌道線が、和歌山・泉州方面もしくは南河内方面に向けて概ね南向きに平行して走っているのに対して、平野線だけは、これら他線を斜めに串刺しにするような形で南東向きもしくは東向きに走ることによって、地域内を東西方向に往来する人々の身近な足として親しまれてきました。

 戦後のモータリゼーションの進行に伴って、市電をはじめとした路面電車が相次いで廃止されていく中で、平野線は阪堺線・上町線とともに地域にしっかりと根づいた営業を続けていました。しかし、大阪市営地下鉄・谷町線が1980年11月28日に天王寺から八尾南まで平野線軌道敷の直下を経路として延伸されるに当たって、それとの競合が必至となる平野線は、谷町線延伸の前日に営業を終了しました。

 現在、飛田停留場跡の東から西平野停留場跡のすぐ西まで、軌道敷跡の大部分が阪神高速道路14号松原線の高架用地に転用されています。そのためこの区間に存在していた平野線時代の施設はことごとく撤去されてしまっており、水路に架かっていたはずの橋の遺構すら見つける事が出来ませんでした。

※写真=文ノ里停留場付近を東望。高速道路と地下鉄という高規格の都市インフラが地表をはさんで上下に配置されているこの現代的空間が、元々はチンチン電車が単車運転されていた軌道敷だった…ということなど、年を経るごとに人々の記憶から薄れていくのかも知れません。

 「平野線の廃線跡を歩いてみよう」と思い立ち、それと同時に「過大な期待をいだいてはならない」と自己を戒めます。やがて自らに襲いかかって来るであろう「失望感」に対する気構えをしてしまうわけですが、それでも「何かが残っているかも」という淡い期待も捨て切れない… そんな思いで、2006年3月26日の午後、JR大阪環状線・新今宮駅の高架ホームに降り立ちました。

 これまで新今宮駅で降りた時は、西側(今宮寄り)の連絡口を通ってすぐに南海電車に乗り換える、というパターンばかりでしたが、今日はホームを東側(天王寺寄り)まで進んで、東出口から通りに出ます。
 新今宮駅の南側に降り立つと、すぐ西側に阪堺線の踏切が見えました。新今宮で大阪環状線と立体交差するという共通点を持ちながらも、高架複々線の南海本線・高野線とはかなり違った趣きが感じられます。

※写真=南霞町停留場南側の踏切を北望。奥にJR環状線のガード、その奥にフェスティバルゲートが見えています。


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