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南海平野線 その2 〜今池〜 [廃線跡探訪]

 南霞町停留場から、阪堺線の東側に平行して南に向かう堺筋をテクテクと歩いて行きます。残念ながら、堺筋と阪堺線との間には商店がギッシリと軒を連ねていて、通りから線路や電車を見る事は出来ません。

 阪堺線の今池停留場の南側、阪堺線が南海電鉄天王寺支線(1993年に廃止)を乗り越す架道橋の更に南の地点で、平野線は東向きににカーブする形で阪堺線から分岐していました。
 しかし分岐点跡には外部から近付けません。分岐点跡は阪堺線の走る築堤の上にあり、かつ、その築堤の両脇に密集する家屋のために一般道路からの進入が阻まれています。
 仕方がないので、電車に乗って、車窓から分岐点跡を確認することにしました。

 築堤の西側に設けられた狭い階段をタンタンと登ると、今池停留場の簡易な相対式ホームがありました。堺方面に向かう東側のホームへは、構内踏切を通ります。

※写真=今池停留場を北望。阪堺線と平野線がこの停留場の南で分岐していました。

 暫くすると、恵美須町側から電車が登り勾配で向かって来ました。単車運転のワンマンカー。後ろの扉から乗車します。
 お客さんは20人くらい。ロングシートに掛けて、車窓風景など関心ないかのように電車に揺られています。その中で、東側の車窓に向けて携帯電話のカメラを構えるというのは、やや気恥ずかしく感じます。
 やがて築堤が、線路の東側で幅を広げました。築堤上の空地は一定幅をキープしながら南に伸び、やがて阪堺線のすぐ東側に「ホテル ロータリー」が立ちはだかったところで途切れます。この空地が平野線の軌道敷跡で、「ホテル ロータリー」も平野線廃止後その軌道敷跡に建てられたものです。

※写真=今池の南を走行中の車窓から南望。左側(東側)のスペースが平野線の跡。

 かつての軌道は、現在はホテル敷地となっているこのわずかな区間を通り抜ける間に、築堤上を走る阪堺線と同じレベルから急勾配で下りながら東向きにカーブし、堺筋と平面交差していたことになります。かなりスリリングな乗り心地だったのではないでしょうか?

※写真=阪堺線・今船停留場(左隅で電車が走っている辺り)の東方から北望。中央の高い建物が、平野線の軌道敷に建った「ホテル ロータリー」。建物が南南東に向いているのは、かつての平野線の向きに沿っているため。


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